この記事では、特別支援学校の教員が直面する「大変なこと」とは具体的に何なのか、そして現場で働く教員たちの「本音」に深く迫ります。
この記事を読むと分かること
- 特別支援学校の教員が日々直面する、具体的な「辛い」体験談
- 児童生徒への対応以上に教員を疲弊させる、隠れたストレスの正体
- 「特別支援学校は定時で帰れる」という噂が本当かどうか、その実態
- なぜ教員たちはそれでも働き続けるのか、その「やりがい」と「本音」
- 辛い状況を乗り越えるための具体的なヒント
特別支援学校教員が大変なことは何ですか?
まず、多くの方が想像する「大変さ」は、児童生徒への直接的な対応でしょう。特別支援学校には、知的障害、肢体不自由、病弱、視覚障害、聴覚障害、そして自閉症や情緒障害など、多様な障害のある子どもたちが在籍しています。
彼らの多くは、自分の感情や要求を言葉でうまく表現することができません。そのもどかしさや不安が、時に私たち教員に向けた「行動」として現れます。
(ある教員の体験談:A先生・小学部担当)

「私は今、重度の知的障害と自閉症を併せ持つ児童のクラス(重複学級)を担任しています。子どもたちのことは本当に可愛いと思っています。しかし、正直に言って心身ともに限界を感じる瞬間は毎日あります。
給食の時間。穏やかに食べているかと思っていた次の瞬間、口に含んだお茶や牛乳を、私の顔めがけて勢いよく吹きかけられること。
楽しそうに「おいしいね」と話しかけていたはずなのに、突然スイッチが入り、食器ごと給食をすべて床に叩きつけ、なぜかケラケラと笑っていること。
授業中、ほんの一瞬、別の児童の対応をした隙に、教室を猛然と飛び出し、脱走(離籍)しようとすること。校外に飛び出してしまえば命の危険に直結するため、こちらも文字通り必死で追いかけ、時には組み伏せるようにして制止します。

そして、何が引き金になったのか分からないパニック。力任せにつねられたり、本気で髪を引っ張られたり、突然の頭突きを食らって目の前に星が散ることもあります。私の腕や足は、理由のわからないパニックによる噛みつきやひっかき傷、つねられた跡で、夏でも長袖を羽織らないと痛々しいほど青あざだらけです。
もちろん、彼らが私を憎んでやっているわけではないことは、頭では100%理解しています。言葉で『嫌だ』『不安だ』と言えない代わりのSOSであり、感覚がうまく調節できないことの表れです。
しかし、痛みは感じます。理不尽だとも感じてしまいます。顔に食べ物を吐きかけられても、笑顔で『どうしたの?びっくりしたね』と平静を装い続ける。この感情労働(エモーショナル・レイバー)の蓄積が、確実に私の心をすり減らしていきます。」

このように、特別支援学校の教員は、常に高いレベルの「危険予知」と「忍耐力」を要求されます。一般的な学校であれば「問題行動」として指導される行為も、支援学校では「障害特性の表れ」として受容し、その背景にあるニーズを読み解かなければなりません。
- いつパニックが起きるか分からない緊張感
- 怪我をさせない、自分も怪我をしないという物理的なプレッシャー
- 叩かれても、唾を吐かれても、笑顔で対応し続けなければならない精神的な消耗
これらが、まず教員を襲う第一の「辛さ」です。
特別支援学校教諭の本音~一番辛いのは「人間関係」~
しかし、多くの現役教員が口を揃えて「一番辛い」と語るのは、前述した児童生徒対応ではありません。
(前述のA先生の体験談・続き)
「正直に告白します。あざだらけにされ、食事をひっくり返される日々よりも、私にとって何倍も辛いこと。それは、『ペアを組む教師との人間関係』です。
特別支援学校、特に小学部や障害の重いクラスでは、多くの場合「複数担任制」が取られます。つまり、1つの教室に2人、あるいは3人以上の教員が常駐し、共同で指導にあたります。

これが、地獄の始まりになることがあるのです。
私の場合、今のペア相手はベテランのB先生。B先生の教育観は『子どもが安心して過ごせること』が最優先。そのため、児童が少しでも嫌がる素振りを見せると、『無理させなくていいわよ』『今はそっとしておきましょう』と、課題(学習)をすぐに中断させてしまいます。
一方、私は『今できなくても、スモールステップで練習すれば必ず伸びる』『社会に出た時に困らないよう、嫌なことでも我慢する経験は必要』という教育観を持っています。
結果、どうなるか。
私が『〇〇さん、このパズルを3つやろうね』と促すと、児童が『いやー!』と声を上げる。すると即座にB先生が間に入り、『あらあら、嫌だったのね。じゃあ好きなおもちゃで遊ぼうか』と児童を私から引き離してしまうのです。
これでは、児童は『嫌だと言えば逃げられる』と学習してしまいます。私の指導は一貫性を失い、児童との信頼関係も築けません。

逆に、B先生が対応している時に児童がパニックを起こし、私に助けを求めてきても、私が介入するとB先生は『私のやり方があるから』と不Kそうな顔をする。
この『教育観の違い』によるストレスは、逃げ場がありません。普通の会社なら、嫌な上司がいても席を離れたり、別の部署の同期と愚痴を言ったりできます。
しかし私たちは、狭い教室という閉鎖空間で、朝から下校までずっと一緒。児童の前で険悪な態度は取れないため、お互いに作り笑顔で『そうですね』と相槌を打ちながら、腹の中では(なぜ、あそこで叱らないんだ)(なぜ、今やらせるんだ)と、常にイライラしている。
児童対応で受けるストレスは、ある意味『仕事』として割り切れます。彼らの成長が直接的なやりがいにも繋がります。
しかし、ペア相手との不和は、純粋な『人間関係のストレス』です。教育観が合わない相手と、子どもの将来を預かるという重責を共に背負う。児童対応の10倍、辛いです。」
A先生の体験談は、決して特殊な例ではありません。特別支援学校は「チームティーチング」が基本であるからこそ、この「相性」や「教育観・支援観のズレ」が、教員のメンタルヘルスに直結します。
- 支援方針の不一致(受容的 vs 指導的)
- 仕事の進め方(きっちり vs 大雑把)
- 単純な性格の不一致
これらが組み合わさると、本来は児童生徒を守るために連携すべき教員同士が、お互いに足を引っ張り合い、疑心暗鬼になるという最悪の状況を生み出します。
特別支援学校教員の現実~見えない業務の山~
児童対応、人間関係。これだけでも十分に「辛い」状況ですが、教員を追い詰める「現実」はまだあります。それは、膨大な「事務作業」と「専門性」の要求です。
1. 個別の指導計画・支援計画の作成地獄
特別支援学校の根幹は「個別最適化」です。つまり、児童生徒一人ひとりに合わせたオーダーメイドの教育計画(個別の指導計画)や、福祉・医療と連携した長期的なプラン(個別の教育支援計画)を作成する必要があります。
これは、単に「国語の目標」などを決めるレベルではありません。
- その子の実態把握(検査結果、行動観察、保護者からの聞き取り)
- 目標設定(例:「スプーンを正しく持って、こぼさず口に運べる」)
- 目標達成のための具体的な手立て(例:「グリップを太くしたスプーンを使う」「介助者が手首を支える」)
- 評価の方法と時期
これを、担当する児童全員分、詳細に作成し、定期的に見直し、保護者や関係機関と共有(カンファレンス)しなければなりません。この書類作成が、授業準備とは別に膨大に存在します。
2. すべてが「手作り」の教材準備
一般の学校のように「教科書を開いて45ページ」という授業は、ほぼ不可能です。
- 文字が読めない子のためには、絵カードや写真カード。
- 手先が不器用な子のためには、掴みやすいように改造した教具。
- 集中が続かない子のためには、一瞬で興味を引く視覚支援教材。
これらは市販品では対応できず、その子の実態に合わせて、教員が日々、切って、貼って、ラミネートして…と手作りするのが「当たり前」の世界です。質の高い授業をしようとすればするほど、教材準備の時間は無限に増えていきます。
3. 濃厚すぎる保護者対応
子どもたちが日々多くの困難を抱えている分、保護者の悩みや不安も非常に深刻です。
日々の連絡帳でのやり取りはもちろん、学校での様子を伝える電話、進路相談、福祉制度の相談、家庭でのパニック対応の相談…。「先生だけが頼りです」と言われることも多く、その期待に応えようとすれば、精神的な負担は計り知れません。
4. 医療的ケアのプレッシャー
近年は「医療的ケア児」の在籍も増えています。たんの吸引、経管栄養(胃ろう)、導尿など、命に直結する医療行為を教員が(看護師の指導のもと)行う学校も少なくありません。「もし手順を間違えたら」というプレッシャーは想像を絶するものがあります。
特別支援学校は定時で帰れるという噂の真相
ここで、冒頭の疑問に戻ります。「特別支援学校は定時で帰れる」というのは本当でしょうか。
答えは、「校務分掌や学年、地域によるが、多くの場合はNO」です。
確かに、中学校の教員のように、夜遅くまでの「部活動指導」はありません。下校時間も早い傾向にあります。
しかし、前述した「見えない業務」が、子どもたちが帰った後に津波のように押し寄せます。
- 今日の授業の片付け
- 連絡帳の記入(一人ひとり、詳細な様子を記述)
- 保護者への電話連絡
- 明日の授業のための教材準備(ラミネート、カッティング)
- 個別支援計画の作成・更新
- 校務分掌(行事計画、研究紀要の作成など)
- 職員会議、学年会議、ケース会議
児童生徒がいる間は、一瞬たりとも目を離せないため、これらのデスクワークは必然的に「放課後」に行われます。
「定時で帰れる」というのは、おそらく「部活動指導という時間外労働が(制度上)ない」という点だけが切り取られた幻想に過ぎません。多くの教員が、日々の教材準備や記録作成のために、遅くまで学校に残り、あるいは自宅に持ち帰って仕事をしているのが現実です。
関連する質問(Q&A)
特別支援学校の教員に関する、よくある疑問にお答えします。
Q1. 特別支援学校教員が辛いと感じた時の対処法は?
A. 辛さを一人で抱え込まないことが最も重要です。
- 信頼できる同僚に話す(吐き出す)
同じ辛さを知る同僚と「あの対応、大変だったね」「B先生のあの言い方、ないよね」と愚痴を言い合うだけでも、心は軽くなります。 - 管理職(教頭・校長)に相談する
特に「ペア相手との不和」が深刻な場合は、我慢していても状況は悪化するだけです。「来年度のクラス編成で配慮してほしい」と具体的に相談することが、自分を守る術になります。 - 異動を希望する
現在の学校の校風や人間関係が合わない場合、数年我慢して教育委員会に「異動希望」を出すのは、教員として当然の権利です。学校(校種)が変われば、全く環境が変わることもあります。 - 専門家のカウンセリングを受ける
教職員専門の相談窓口や、心療内科を利用することにためらいは不要です。客観的なアドバイスが貰えます。 - 休職・転職を視野に入れる
心身の不調が明らかな場合は、診断書をもらい「休職」する勇気も必要です。また、その経験を活かして、放課後等デイサービス、児童発達支援センター、教育委員会の専門職など、別のフィールドで活躍する道もあります。
Q2. 特別支援学校教員に向いている人は?
A. 求められる資質は多岐にわたりますが、特に以下のような人が向いていると言われます。
- 忍耐強く、気長な人:子どもの成長は非常にゆっくりです。「昨日できたことが今日できない」の繰り返しに、イライラしない忍耐力が必須です。
- 観察力があり、小さな変化に気づける人:言葉で訴えられない子の「いつもより瞬きが多い」「手のこわばりが強い」といったサインを察知し、体調や心情の変化を読み取れる力。
- 切り替えが早い(引きずらない)人:どんなにひどいパニック対応をしても、次の瞬間には笑顔で「よく頑張ったね」と接することができる、感情の切り替え能力。
- 体力がある人:児童を抱え上げたり、走って追いかけたり、パニックを制止したりと、純粋に体力勝負な場面が多いです。
- 連携・協働が苦ではない人:前述の通り、ペア相手、保護者、医療、福祉と、常に「チーム」で動く仕事です。自分一人で抱え込まず、他者に「助けて」と言える素直さも重要です。
辛いだけではない、支援学校教員の「本音」と「やりがい」
ここまで、特別支援学校教員の「辛い」現実を強調してきました。では、なぜ多くの教員は、それでも現場に立ち続けるのでしょうか。
それは、一般の学校では味わえない、圧倒的な「やりがい」と「感動」の瞬間があるからです。
(再び、A先生の体験談)
「あんなに辛いと思っていたB先生とのペアも、年度末のケース会議で、私の作った教材で児童が課題を達成した写真を見ながら『A先生が根気よくやってくれたからだね』と認めてくれた瞬間、今までの苦労が報われた気がしました。
何より、子どもたちの成長です。
言葉が全く出なかった子が、1年間のやり取りの末、私の目をじっと見て、小さな声で『せんせい』と呼んでくれたこと。
給食で偏食がひどく、白米しか食べられなかった子が、卒業するまでに『先生、今日の唐揚げ美味しい』と完食できるようになったこと。
パニックになると私を叩くことしかできなかった子が、イライラした時に、教えた通りに『たすけて』の絵カードを私に差し出し、自分の気持ちを伝えられたこと。
彼らにとっての「できた!」は、健常の子どもたちにとっての「100点を取った」こと以上に、輝かしい成長の証です。その奇跡のような瞬間に立ち会えること。保護者の方から『先生のおかげで、この子の将来に希望が持てました』と涙ながらに感謝されること。
この「やりがい」が、日々の辛さや疲労感を、確かに上回るのです。だから私たちは、今日もあざだらけの手で、夜遅くまでラミネーターを回し続けるのだと思います。」
まとめ
特別支援学校の教員は、決して「楽な仕事」ではありません。むしろ、児童生徒の命と将来を預かるという重責、予測不能な対応の連続、そして閉鎖的な空間での濃密な人間関係など、特有の「辛さ」に満ちています。
「定時で帰れる」というのも、多くの場合、実態とは異なります。
もし今、あなたが「辛い」と感じているなら、それは決してあなたの能力が低いからでも、愛情が足りないからでもありません。それは、この仕事が本質的に過酷であることの裏返しです。
どうか、一人で抱え込まないでください。あなたの実践は、必ずどこかで誰かの支えになっています。
関連リンク
- 文部科学省:特別支援教育
日本の特別支援教育に関する制度や方針について、国の公式な情報が掲載されています。自身の置かれている環境を客観的に見つめ直すためにも、一度目を通しておくと良いでしょう。


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