特別支援教員の手当、調整額削減はおかしい|処遇改善と専門性の軽視を考える

支援の工夫

2025年6月、文部科学省の「教員の処遇改善」に関する方針が大きな波紋を呼んでいます。

公立学校の教員に支給されている教職調整額を4%から10%に引き上げる一方で、特別支援教育に携わる教員に支給されている「給料の調整額」を段階的に半減させるという内容です。

この方針に対し、全国の障害児の保護者らが声を上げ、オンライン署名には1カ月半で2万2000筆を超える賛同が集まりました。一見すると朗報に見える「教員の処遇改善」の陰で、なぜ特別支援教育の現場は危機感を抱いているのか。この記事では、特別支援学級に勤務する現場教員としての立場から、この方針に対する違和感と危機感、そして保護者の行動への感謝の気持ちを綴ります。

この記事は、以前投稿した記事の第二回となります。こちらも合わせてお読みください👇

特別支援の現場から見た「処遇改善」の矛盾

まず、教職調整額の引き上げそのものには、現場教員として大きな意義を感じています。長年見過ごされてきた教員の長時間労働と処遇の問題に、ようやくメスが入ろうとしている。これは歓迎すべきことです。

しかし、その財源を確保するためとしか思えない形で、特別支援教育に携わる教員への手当を削減するという方針には、正直言って納得がいきません。これでは、「支援を必要とする子どもたちと、日々向き合っている現場」を犠牲にして、全体のバランスを取ろうとしているように見えてしまいます。

文科省は「教職調整額引き上げの財源ではない」と説明していますが、このタイミングと内容からして、実質的には帳尻合わせにしか映りません。財政的な制約があるのは理解できますが、なぜそのしわ寄せが、最も支援を必要とする子どもたちと、その支援に尽力する教員にくるのでしょうか。その政策決定の優先順位には、強い疑問を抱かざるを得ません。

「誰もが特別支援に関わる時代」の意味を問い直す

阿部俊子文科相は会見で、

「近年、通常の学級にも特別支援教育の対象となる児童生徒が増加しており、すべての教師が特別支援教育に関わることが必要となっている」

と述べています。しかしこの発言には、現場感覚から大きなズレを感じざるを得ません。

たしかに、通常学級にも支援を必要とする児童生徒は確実に増えています。それは現場の誰もが実感していることです。けれども、それは「すべての教員が少しずつ支援を担えばよい」という話ではありません。むしろ、支援が必要な子どもたちが増えたからこそ、専門的な知識と経験を持った教員の存在が不可欠なのです。

「みんなで関わる」ことと「専門性のある支援体制を確保する」ことは、別次元の話です。この二つを混同してはいけません。現場では、発達の特性に応じたきめ細やかな指導、個別の支援計画の作成、保護者との密な連携など、専門的な知見がなければ提供できない支援が山積しています。それを「みんなで少しずつ」という曖昧な言葉で済まされては、質の高い特別支援教育は維持できません。

通常学級の支援が十分でないからこそ、支援学級や通級が増えている現実

私が勤務している自治体でも、特別支援学級の数はこの数年で明らかに増加しています。それは、学校側が積極的に推進したというよりも、通常学級での支援体制が追いつかない中で、やむを得ず支援学級の枠に頼らざるを得なかったという現実の表れです。

にもかかわらず、専門性をもって支援を行っている教員の処遇を軽視するような制度改正が進もうとしている。これは、私たちの仕事の価値を否定されているように感じます。もしこの方針がこのまま実施されれば、専門的な知識と経験を持った教員が特別支援教育の現場から離れることになりかねません。結果として、支援を必要とする子どもたちが受けられる教育の質が低下してしまうのではないかと、強い危機感を抱いています。

もちろん、教職調整額の引き上げは、私たち教員全体の長時間労働改善への第一歩であり、その恩恵を受ける同僚たちの気持ちも理解できます。だからこそ、その陰で特別支援教育が犠牲になることに、より一層の矛盾を感じずにはいられません。

現場の教員にとって、保護者の声は希望

今回の署名活動を通じて、何よりも心に響いたのは、保護者の方々の声でした。

「特別支援学級の先生は、娘が学校に行くきっかけをくれた恩人です」

という草薙さんの言葉には、胸が熱くなりました。特別支援教育が「あるとありがたい制度」ではなく、子どもにとっての「大切な居場所」であるという視点。それは、現場で働く私たちが何よりも大切にしてきた理念そのものです。

このように、子どもと向き合う姿をちゃんと見てくれている保護者がいる。そして、自分たちの声が制度を変えるための行動につながっている。そのことに、私は深く励まされました。

私自身も「声を上げたい」と思った

教員という立場上、政治的な活動には制限があります。けれども、私は現場で働く人間として、今この状況を「おかしい」と言わずにいられません。

制度を考える側には、現場の声が届きにくい構造があります。だからこそ、私はブログを通じて、これからも声を上げ続けたいと思います。

子どもたちの未来のために、そして、特別支援教育の価値が損なわれないために。専門性と覚悟をもって支援にあたる教員の存在が、制度によって軽んじられてはいけません。真の処遇改善とは、特別支援教育の専門性を正当に評価し、その上で全体の教員配置と予算を見直すことによってのみ実現できるはずです。

最後に

処遇改善は必要です。教職が持続可能な仕事であり続けるためにも、報酬の見直しは避けられません。でも、それは支援の最前線にいる教員の負担を代償にして実現されるべきではないと思います。

支援教育は、誰かの「お情け」や「余裕」の中で成り立っているのではありません。ひとりひとりの子どもが、自分らしく学び、成長できる社会を実現するために必要不可欠な教育です。

私たち一人ひとりの声が、子どもたちの未来を守る力になります。この問題について、ぜひ皆さんも考えてみてください。

※この記事の内容は、現場教員としての個人の意見です。

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