「障がい=支援級」なのか考えてみた

支援の工夫

先日、特別支援教育に関わる方との対話を通じて、通常級における障がいのある子どもへの支援について深く考えさせられる機会がありました。特に印象的だったのが、「周りに迷惑をかけた子どもの保護者から、

『うちの子は障がいなんです!もっと勉強してください!』

と言われたものの、その保護者は支援級を希望しない」という現場の声です。

このような状況は、学校現場で日々奮闘されている方であれば、共感や戸惑いを覚えることが多いのではないでしょうか。「障がいを理由に指導から逃れようとしているのでは?」「必要な支援があるなら、専門の支援級という選択肢をなぜ検討しないのだろう?」といった疑問が浮かぶのは自然なことです。

「通常級でも支援を受ける権利」と、現場のリアルな難しさ

まず、大前提として確認すべきは、通常級に在籍している障がいのある子どもにも、学校教育において「合理的配慮」を受ける権利があるということです。これは、障がい者差別解消法などに基づき、教育の機会均等を保障するための重要な原則です。

ですから、保護者が「障がいがあるのだから、学校は理解して配慮してほしい」と要望すること自体は、権利に基づいた正当なものです。

理想的な「インクルーシブ教育」においては、障がいの有無にかかわらず、全ての子どもたちが同じ場で共に学び、その子に必要な支援が柔軟に提供されることが目指されています。

しかし、現場ではなぜこれが難しく、「わがまま」や「開き直り」のように感じられてしまうことがあるのでしょうか?それは、単に「権利があるかないか」の話に留まらない、制度や現場の構造的な課題、そして個別ケースでの複雑さが絡み合っているからです。

教育制度の構造的な課題

個別の子どもへの対応の困難さや、保護者と学校の間の意見の相違の背景には、日本の特別支援教育制度が抱えるいくつかの構造的な問題が影響しています。

二元的な教育構造の影響

日本の学校教育は、長らく通常学校と特別支援学校(旧特殊教育諸学校)という「分ける」構造で発展してきました。インクルーシブ教育への移行が叫ばれて久しいですが、制度や人々の意識の根底に「障がいのある子は別の場で学ぶ」という考え方が残りやすく、「通常級か支援級か」という二者択一的な議論に陥りやすい土壌があります。

通常級における支援体制の決定的な不足

通常級で多様なニーズに対応するための、専門的な知識を持つ教員、障がい特性に応じた指導ができる人材、子ども一人ひとりに寄り添うための十分な支援員(人的リソース)が多くの学校で不足しています。また、障がいに配慮した設備や教材などの物的リソースも限られています。これにより、通常級の先生方が特別な配慮を提供することに、物理的・時間的な限界を感じざるを得ない状況が生まれています。

教員の専門性に関する課題

通常学級の先生方の特別支援教育に関する専門性にはばらつきがあります。全ての教員が障がい特性を理解し、個別の指導方法を身につけるための体系的かつ実践的な研修の機会が十分ではないことが、現場での戸惑いや困難につながっています。

制度の複雑さと情報提供の不足

特別支援教育に関する制度(通常級での支援、通級指導教室、支援級、特別支援学校、就学相談、個別の教育支援計画など)は非常に多岐にわたり、保護者にとって分かりにくいのが現状です。必要な情報や、子どもの状況に合わせた最適な選択肢、利用できるサポートについて、タイムリーかつ丁寧に情報提供されにくい構造があります。

社会的な偏見と理解の遅れ

障がいや特別支援教育に対する社会全体の理解や受容がまだ十分とは言えません。これが、保護者が支援級などの利用に抵抗を感じる一因となったり、学校現場でのインクルーシブな取り組みを進める上での障壁となったりします。

これらの構造的な問題があるため、個々の学校や先生、保護者がどれだけ努力しても、システムそのものが持つ課題に直面し、理想とする支援や環境の実現が難しくなるケースが少なくありません。これが、現場でのフラストレーションや、保護者との間の溝を生む大きな要因の一つと言えます。

現場でできること

構造的な問題の解決には、国や自治体のレベルでの大きな変革が必要です。一教員の方が、これらの全てを解決することは現実的ではありません。しかし、だからといって何もできないわけではありません。私たち一教員にも、目の前の子どもたちや保護者のためにできる大切なことがあります。

それは、構造的な課題がある中でも、自分が影響を与えられる範囲で、個々の子どもの「最善の利益」を追求することです。

  • 特別支援教育に関する自己研鑽を続ける: 制度に頼るだけでなく、自ら学び、知識とスキルを増やし、多様なニーズに対応できる引き出しを持つ。
  • 子ども一人ひとりを深く理解しようと努める: 障がい名やレッテルではなく、その子固有の特性、強み、困難さを丁寧に観察し、理解する。
  • 授業や学級環境を工夫する: 全ての子どもが参加しやすく、安心して過ごせるようなユニバーサルデザインの視点を取り入れた実践を行う。
  • 保護者との信頼関係を築く: 良いことも含め、率直かつ丁寧なコミュニケーションを心がけ、共に子どもの成長を支えるパートナーとなる。
  • 校内・外の関係者と積極的に連携する: 一人で抱え込まず、特別支援教育コーディネーターや他の専門家と協力し、「チーム」で子どもを支える。
  • 記録と具体的な情報発信: 子どもの様子や行った支援の効果を記録し、客観的な根拠として話し合いに活かす。必要に応じて現場の声を組織に上げる。
  • 常に「子どもの最善の利益」を問い続ける: 制度や大人の都合ではなく、この子の未来にとって何が一番良いのかを、対話の全ての中心に置く。

結びに

通常級での支援を巡る問題は、障がいのある子の「共に学びたい」という正当な願いと権利、それを支えるべき制度、そして現場の現実的なキャパシティ、さらに根底にある構造的な課題が複雑に絡み合った、非常に難しい問題です。

「障がい=支援級」という短絡的な発想は、子どもの可能性や選択肢を狭めるものであり、避けるべきです。同時に、通常級での支援にも限界があること、そして何よりも、関係者間の信頼と協力が不可欠であることも忘れてはなりません。

理想的なインクルーシブ教育の実現には、構造そのものの改革が不可欠です。しかし、現場に立つ私たち一人ひとりが、目の前の子どもと保護者に真摯に向き合い、「その子にとって何が一番良い学びの場と支援なのか」を粘り強く共に考え、対話し、協力していくこと。そして、小さな声でも現場の課題を発信し続けること。その地道な積み重ねが、きっとより良い未来につながると信じています。


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