こんにちは。ゆた先生です。
2023年4月、教育現場に一つの通知が波紋を広げました。文部科学省から各教育委員会に出された、いわゆる「4.27通知」です。
この通知は、「特別支援学級に在籍している児童生徒が、そのほとんどあるいは全ての時間を通常の学級で学んでいるようなケース」について、在籍のあり方や教育課程を見直すよう求めるものでした。
通知が出された背景には、現場で長年指摘されてきた「歪み」がありました。
支援学級に籍を置きながら、実態としてはほとんど通常学級で過ごしている子どもたちが少なからず存在したのです。これは、制度の意図からすると、ある種の矛盾をはらんだ状況でした。
この通達を,改めてじっくり考えてみました。
学びの「場」と「支援」が切り離せない、現場のジレンマ
なぜ、このような状況が生まれてしまったのでしょうか?
それは、現在の特別支援教育の制度において、「学びの場(在籍)」と「受けられる支援や人的配置」が強く紐づいていることに根本的な原因がある、と私は考えています。
現行制度では、特別支援学級は「通常の学級における教育課程による指導では適切な教育的支援を受けることが困難な児童生徒」が対象であり、その学級で特別の教育課程を編成することが前提となっています。そして、そのために「8人に対して教員1名」という人的配置が認められています。
つまり、手厚い人的支援や柔軟な教育課程を組むためには、子どもは「特別支援学級に在籍する」という選択をせざるを得ない構造になっているのです。
これは、私自身、現場で何度も感じてきた深いジレンマです。
ある子どもは、通常の学級で友達と楽しく過ごし、集団行動も問題なくできます。しかし、特定の学習内容にはつまずきがあり、個別に見守ったり、教材を工夫したりする丁寧な支援が必要です。
この子にとって最も必要なのは、「通常学級という集団の中で、個別の学習支援を受けること」かもしれません。しかし、現在の制度では、こうした個別ニーズにきめ細かく対応するための加配教員や専門的な支援は、「特別支援学級に在籍していること」とセットになっている場合が多いのです。
結果として、「この子に必要な支援を確保するためには、特別支援学級に籍を置くしかない」という選択が生まれてしまいます。そして、籍は支援学級にあっても、実際には通常学級での活動が中心になる、という冒頭の「歪み」につながるのです。
「共に学ぶ」インクルーシブ教育を阻む壁
「すべての子どもが、共に学び、共に育つ」というインクルーシブ教育の理念は、いまや広く共有されています。しかし、先ほど述べた「在籍する学級によって受けられる支援が決まる構造」は、この理念の実現を難しくしています。
本来、子どもに必要な支援は、「どこに在籍しているか」ではなく、「一人ひとりが、どのような教育的ニーズを持っているか」によって決まるべきです。
必要な支援が、「通常学級」という「箱」に合わせた最小限のものか、「特別支援学級」という「箱」に入った子ども向けのパッケージ化されたものか、という二者択一になっている現状では、子どもたちの多様な学びのスタイルや支援の必要性に、柔軟に対応することが困難です。
4.27通知は「歪み」への対処、しかし本質は構造にあり
4.27通知は、こうした現場で生じていた運用上の「歪み」に対して、「特別支援学級の対象性や教育課程の実施状況を改めて確認しましょう」と、ある意味で制度の建前への立ち返りを求めたものと言えます。
この通知に対して、「インクルーシブ教育の流れに逆行するのではないか」「籍を移さないと支援が得られない状況を放置している」といった批判があることも承知しています。
しかし私は、この通知自体を単体で批判するだけでは、問題の本質は見えてこないと考えています。むしろ、「なぜ、このような通知を出さざるを得ないほど、現場で歪みが生じていたのか?」という背景、すなわち「在籍と支援が紐づく構造」にこそ目を向けるべきだと思うのです。
この構造が変わらない限り、たとえ4.27通知が撤回されたとしても、別の形でまた同様の歪みやジレンマは生じてしまうでしょう。
「場所」に縛られない支援を目指して
本当に必要なのは、「在籍する場によって受けられる支援が決まる」という現在の構造を、根本から見直すことです。
私が理想とするのは、子どもがどの学級にいても、その子の教育的ニーズに基づいて、専門性を持った多様な人材(教員、支援員、心理士、セラピストなど)が必要な時に必要なだけ関わり、「必要な支援と教育課程が、子どもの状況に合わせて柔軟にカスタマイズされ、提供される仕組み」です。
もちろん、これを実現するには、制度設計の抜本的な見直し、十分な予算、専門性を持った人材の育成と確保など、乗り越えるべきハードルは山積しています。
しかし、第一歩として、まずは「日本の特別支援教育の構造そのものが、インクルーシブ教育の真の実現を難しくしているのではないか」という視点を、より多くの人々と共有していくことが重要だと信じています。
終わりに
「特別支援学級か、通常学級か」「通知の是非」といった表面的な議論に留まらず、教育の根っこにある「構造」に目を向けること。それが、すべての子どもが自分らしく学び、成長できるインクルーシブな学校を創っていくための鍵だと、私は確信しています。
すべての子どもが、必要なときに、必要な支援を、どこにいても受けられる。
その当たり前であるべき姿を実現するために、私たち一人ひとりがこの構造問題について考え、声を上げていく必要があるのではないでしょうか。
この記事を読んで感じたことや、あなたの学校・地域での状況、この問題についてのお考えを、ぜひコメント欄で教えてください。
ブログを通して、より多くの声を集め、共に考える場を広げていけたら嬉しいです。
コメント