「パーソナルイズポリティカル(The Personal Is Political)」という言葉を、ドラマ『御上先生』をきっかけに知った方も多いのではないでしょうか。
日本語では一般に「個人的なことは政治的なこと」と訳されます。
少し難しく聞こえるかもしれませんが、簡単に言えば、
「その人だけの悩みや生きづらさ」に見えることも、本人の性格や努力だけではなく、社会の仕組みや環境、慣習、人と人との力関係などと結びついていることがある。
という視点です。
私は特別支援学級で子どもたちと関わる中で、この考え方につながる場面に何度も出会ってきました。
授業中に席を立つ子。
一斉指示では動けない子。
大きな音が苦手で行事に参加しにくい子。
教室から出てしまう子。
こうした姿だけを見ると、「落ち着きがない」「話を聞いていない」「我慢できない」と、本人側の問題として捉えてしまうことがあります。
しかし、その子を取り巻く「環境」まで見てみると、違った景色が見えてくることがあります。
この記事では、「パーソナルイズポリティカル」という言葉の意味や由来、ドラマ『御上先生』での使われ方を確認したうえで、特別支援教育の視点から、この言葉について考えてみたいと思います。

- パーソナルイズポリティカルとは?意味をわかりやすく解説
- 『御上先生』でパーソナルイズポリティカルはどう描かれた?
- パーソナルイズポリティカルは誰の言葉?フェミニズムとの関係
- パーソナルイズポリティカルを身近な具体例で考えてみる
- 特別支援教育で考える「パーソナルイズポリティカル」
- 「できない子」ではなく「環境とのミスマッチ」と考えてみる
- 多数派には困らない環境でも、全員に合うとは限らない
- 特別支援学級だけの話ではない|通常学級にもいる「困っている子」
- 合理的配慮も「本人と環境の関係」を考える仕組み
- 本人への支援と環境調整は「どちらか」ではない
- まず「本人は何に困っているのか」を知る
- 私が特別支援教育で「パーソナルイズポリティカル」を考える理由
- パーソナルイズポリティカルについてよくある質問
- まとめ|「この子の問題」で終わらせない
- 参考資料
パーソナルイズポリティカルとは?意味をわかりやすく解説
パーソナルイズポリティカルとは、英語の「The Personal Is Political」をカタカナで表した言葉です。
直訳すると、
「個人的なことは政治的なこと」
となります。
ここで大切なのは、「政治的」という言葉を、選挙や政党、国会といった狭い意味だけで考えないことです。
「個人的なことは政治的なこと」とはどういう意味?
例えば、ある人が仕事と子育てを両立できずに苦しんでいるとします。
それを、
- 本人の時間の使い方が悪い
- もっと頑張ればいい
- 家庭の中で解決すればいい
と考えれば、「個人的な問題」です。
しかし視点を少し広げると、
- 働き方
- 保育制度
- 長時間労働
- 家庭内での役割分担
- 社会にある価値観
なども関係しているかもしれません。
つまり、個人が抱えている困りごとを、その人だけの責任として終わらせず、その背景にある仕組みや環境まで見てみるという考え方です。
「ポリティカル」は選挙や政党だけを意味しない
「政治的」と聞くと、「政治家の話なの?」と思う方もいるかもしれません。
この言葉で知られるアメリカの女性解放運動家Carol Hanisch(キャロル・ハニッシュ)は、後年の解説で、ここでいう「political」は選挙政治という狭い意味ではなく、人と人との力関係に関わる、より広い意味で使われていたと説明しています。
ですから、パーソナルイズポリティカルを、単純に「個人的な問題はすべて国や政治家が解決すべきだ」という意味だけで捉えると、本来の意味より狭くなってしまいます。
「なぜ、この人だけが困っているのだろう?」
そう考えたときに、個人だけを見るのではなく、その人を取り巻く環境や社会の仕組み、人間関係まで視野を広げてみる。
私は、まずこのように捉えると分かりやすいと思います。
『御上先生』でパーソナルイズポリティカルはどう描かれた?
「パーソナルイズポリティカル」という言葉が日本で改めて注目された大きなきっかけの一つが、2025年にTBS系列で放送された日曜劇場『御上先生』です。
『御上先生』では、文部科学省の官僚でもある御上孝が高校教師となり、生徒たちと学校や社会にあるさまざまな問題について考えていきます。
その作品全体を通して繰り返し示される考え方の一つが、「個人の問題と社会の問題は切り離されているわけではない」という視点です。
一人の問題から、社会の仕組みへ視野を広げる
例えば第7話では、生徒の椎葉が抱えていた問題に対して、御上が「一人の生徒だけの問題」として終わらせず、社会問題ともつながっていることを生徒たちに問いかけます。
ドラマの中では、一人の生きづらさや身近な出来事からスタートし、その背景にある社会の仕組みへ視点を広げていく場面が描かれています。
脚本を担当した詩森ろばさんもインタビューの中で、この言葉を長年大切にしてきたことや、個人を描いていくことが社会のシステムへとつながっていくという趣旨を語っています。
だからこそ『御上先生』では、「パーソナルイズポリティカル」は単なる印象的なセリフではなく、作品全体を貫く考え方の一つとして機能していたのだと思います。

パーソナルイズポリティカルは誰の言葉?フェミニズムとの関係
「The Personal Is Political」は、1960年代後半から1970年代のアメリカの女性解放運動・第二波フェミニズムの文脈で広く知られるようになった言葉です。
特に、この言葉と深く結びついているのが、女性解放運動家のCarol Hanisch(キャロル・ハニッシュ)です。
もともとは1969年に書かれた文章だった
Hanisch自身の説明によると、もとになった文章は1969年2月に書かれたメモで、1970年に女性解放運動の論集『Notes from the Second Year』へ「The Personal Is Political」というタイトルで掲載されました。
興味深いのは、Hanisch自身がこのタイトルを付けたわけではないという点です。
Hanischによれば、論集の編集者だったShulie FirestoneとAnne Koedtによって、このタイトルが付けられたとされています。
もともとは女性が抱える「個人的な悩み」を問い直す言葉
当時、家庭や男女関係、仕事、育児などで女性が感じていた困難は、「家庭の中のこと」「本人が解決すべきこと」として扱われやすいものでした。
しかし、多くの女性が似たような困難を経験しているのであれば、それは一人ひとりの性格や努力だけの問題ではなく、社会の構造や力関係ともつながっているのではないか。
こうした問いが、この言葉の背景にあります。
ここから先では、この言葉が生まれたフェミニズムの歴史的背景を別のものに置き換えるのではなく、「個人だけの問題とされていることの背景に、環境や仕組みはないかを見る」という視点を、特別支援教育にも重ねて考えていきます。
パーソナルイズポリティカルを身近な具体例で考えてみる
言葉だけでは分かりにくいので、いくつか具体例で考えてみましょう。
| 一見「個人的」に見えること | 視野を広げると考えられること |
|---|---|
| 仕事と子育てを両立できない | 働き方、保育制度、家庭内の役割分担など |
| 学校へ行きづらい | 本人の状態だけでなく、人間関係、学習環境、学校の仕組みなど |
| 大きな音のある行事に参加できない | 感覚の感じ方だけでなく、行事の環境や参加方法など |
| 一斉指示についていけない | 本人の理解だけでなく、情報の量や伝え方、視覚的な手掛かりの有無など |
もちろん、すべての困りごとの原因が社会や環境にあるという意味ではありません。
大切なのは、本人だけに原因を求める前に、「ほかに変えられるものはないだろうか」と考える視点を持つことだと思います。
特別支援教育で考える「パーソナルイズポリティカル」
ここからは、私が特別支援教育の現場で感じてきたことと重ねて考えてみます。
特別支援学級には、環境や提示の仕方が少し変わるだけで、本来持っている力を発揮しやすくなる子どもがいます。
逆に言えば、環境とのミスマッチによって、「できない子」「困った行動をする子」に見えてしまう場合があるということです。
①「じっと座れない」は、その子だけの問題なのか
授業中に何度も立ち上がる子どもを見ると、
- 落ち着きがない
- 我慢ができない
- 座る習慣を身につけさせなければならない
と考えることがあります。
もちろん、必要に応じて少しずつ着席して学ぶ力を身につける支援も大切です。
しかし、それと同時に、
- 活動時間が長すぎないか
- 課題の難易度は本人に合っているか
- 周囲の刺激が多すぎないか
- 立って学習する方法ではいけないのか
- 短い休憩を間に入れられないか
という環境側の問いも持つことができます。
「どうすれば座らせられるか」だけではなく、「どうすればこの子が学びやすくなるか」と考えると、支援の選択肢が広がります。
②「指示が通らない」は、その子だけの問題なのか
「何度言っても動かない」「話を聞いていない」と見える子どももいます。
しかし、その子にとっては、
- 一度に伝えられる情報が多すぎる
- 口頭での説明だけでは残りにくい
- 「何を・どの順番で・どこまで」すればよいか分からない
- 教室の音の中から先生の声だけを聞き取ることが難しい
という可能性もあります。
そこで、
- 指示を短くする
- 一つずつ伝える
- 写真や文字、絵カードで示す
- 手順表を用意する
- 終わりを分かりやすくする
といった工夫をすると、驚くほど自分で動けることがあります。
そのとき私たちが見ているのは、「指示が通らない子」から、「自分に合う情報提示なら理解して動ける子」へと変わります。
③「教室から出てしまう」は、その子だけの問題なのか
授業中に教室から出てしまう行動も同じです。
行動だけを見れば、「勝手に教室を出る」「ルールを守れない」と見えるかもしれません。
しかし、
- 教室の音がつらい
- 課題が難しすぎる
- 予定変更による不安が強い
- 疲れている
- 「休みたい」「助けて」をうまく伝えられない
という背景が隠れていることがあります。
私は、飛び出すという行動そのものを止めることだけでなく、「その直前に何があったのか」「本人は何から離れたかったのか」を見ることが大切だと考えています。
詳しい支援方法については、「教室から飛び出してしまう子への支援方法」でもまとめています。
④「大きな音が苦手」は、慣れれば解決するのか
運動会、集会、避難訓練、体育館での活動。
学校には、大きな音や多くの人が集まる場面がたくさんあります。
多くの子どもには問題のない音でも、感覚過敏のある子どもにとっては、強い苦痛になることがあります。
そんなとき、
「みんな参加しているから」
「そのうち慣れるから」
という考え方だけでは、その子の困りごとは見えません。
イヤーマフを使う、音源から距離を取る、休める場所を用意する、参加方法を本人と相談する。
環境や参加方法を少し変えることで、「参加できない」から「自分に合った方法なら参加できる」へ変わることがあります。
感覚過敏と学校行事については、運動会での感覚過敏と合理的配慮の記事でも実践例を紹介しています。

「できない子」ではなく「環境とのミスマッチ」と考えてみる
ここまでの例には、共通していることがあります。
それは、
↓
「なぜ?」と考える
↓
本人の困り感を考える
↓
本人への支援と環境調整を考える
という流れです。
私は特別支援教育に関わる中で、この「なぜ?」をとても大切にしてきました。
例えば離席をしたときに、「座らせなければ」と考えるだけでは、支援方法は限られます。
しかし、
「なぜ立ちたくなったのだろう?」
と考えると、
- 課題が難しい
- 疲れた
- 周囲がうるさい
- 何をすればいいか分からない
- 体を動かしたい
など、いくつもの仮説が出てきます。
仮説が変われば、支援も変わります。
「できない子」なのではなく、「今の方法や環境では力を発揮しにくい子」なのかもしれない。
この視点は、特別支援教育を考えるうえで、とても大切だと思っています。

多数派には困らない環境でも、全員に合うとは限らない
学校には、長い年月の中で作られてきたさまざまな仕組みがあります。
例えば、
- 先生が前から全員へ一斉に指示をする
- 決められた机と椅子で学習する
- 同じ時間に、同じ活動をする
- 大人数で集まる
- チャイムに合わせて行動する
- 周囲に人や音がある中で学習する
といったことです。
これらの仕組みは、多くの子どもにとっては大きな問題なく機能します。
しかし、多数の子どもにとって困りにくい環境が、そのまますべての子どもにとって学びやすい環境とは限りません。
音に敏感な子。
視覚的な刺激が多いと集中しにくい子。
座り続けることに大きな負担がある子。
口頭だけの指示を覚えておくことが難しい子。
こうした子どもたちが持つ力を十分に発揮できないとき、本人だけに変化を求めるのではなく、環境にも変えられるところがないかを考える必要があります。
私自身、特別支援学級の教室では、通常の机だけでなく、パーテーションを使う場所、少し離れて学習する場所、立って学習できる方法、クールダウンできる場所など、子どもの実態に応じて選択肢をつくってきました。
特別支援学級の教室レイアウトの記事でも詳しく紹介していますが、環境を変えること自体が「支援」になることがあります。
特別支援学級だけの話ではない|通常学級にもいる「困っている子」
こうした話をすると、「それは特別支援学級の子どもの話では?」と思われるかもしれません。
しかし、特別な教育的支援を必要としている可能性のある子どもは、通常の学級にも在籍しています。
文部科学省が2022年に公表した調査では、通常の学級に在籍する小・中学生のうち、担任教員への調査で「学習面又は行動面で著しい困難を示す」とされた児童生徒は推定8.8%でした。
35人学級で考えると、約3人に相当します。
注意:この8.8%は、医師の診断によって「発達障害のある子どもが8.8%いる」と示した数字ではありません。学級担任等への調査をもとに、「学習面又は行動面で著しい困難を示す」とされた児童生徒の推定値です。
つまり、子どもの学びやすい環境を考えることは、特別支援学級だけの課題ではありません。
最初から教室の中には多様な子どもがいる。
その前提で、授業や教室環境、情報の伝え方を考えていくことが重要なのだと思います。
合理的配慮も「本人と環境の関係」を考える仕組み
この考え方と関係が深いものに、合理的配慮があります。
合理的配慮は、単に「その子だけ特別扱いする」という意味ではありません。
障害のある人が、周囲にある社会的な障壁によって活動や参加を制限されている場合に、本人の状況や意向を踏まえながら、過重な負担とならない範囲で必要な調整を行う考え方です。
学校で考えるなら、例えば、
- 文字を大きくする
- 口頭指示に加えて視覚的に示す
- 座席を調整する
- イヤーマフを使用する
- 休憩できる場所を用意する
- 課題の提示方法を工夫する
- 本人と参加方法を相談する
といった方法が考えられます。
もちろん、合理的配慮の内容は一人ひとり異なります。
「この診断名だからこの配慮」と機械的に決めるものでもありません。
本人や保護者と対話しながら、その子がどの場面で何に困っていて、何を調整すると参加しやすくなるのかを考えていくことが大切です。
ここにも、
「本人だけを変える」のではなく、「本人と環境との関係を見る」
という視点があります。

本人への支援と環境調整は「どちらか」ではない
ここで一つ、誤解のないようにしておきたいことがあります。
環境を変えることが大切だからといって、「本人は何も身につけなくていい」「すべて周囲が変わればいい」ということではありません。
例えば、困ったときに、
- 「助けて」と伝える
- 休憩したいことを伝える
- 自分に合う落ち着き方を知る
- 自分の得意・苦手を知る
- 少しずつ新しい方法へ挑戦する
といった力を育てていくことも大切です。
同時に、周囲もその子が力を発揮しやすい環境を整えていく。
私は、
本人に力をつける支援 + 本人が力を発揮できる環境づくり
この両方を考えることが大切だと思っています。
まず「本人は何に困っているのか」を知る
環境を整えるためには、教師や周囲の大人だけで答えを決めないことも大切です。
「どんな音がつらい?」
「どんなときに困る?」
「どうしてもらえると助かる?」
「どの方法ならできそう?」
子ども自身の感じ方を知ることで、初めて見えてくる支援があります。
私は自立活動でも、子どもが自分の好きなこと・苦手なこと・困ったときにしてほしいことなどを整理する「わたしのトリセツ」を使っています。
本人を一方的に「支援される人」にするのではなく、自分に合う方法を一緒に考えていくための教材です。
無料で使えるプリントも用意していますので、興味がある方は「わたしのトリセツ」ワークシートをご覧ください。
私が特別支援教育で「パーソナルイズポリティカル」を考える理由
私は特別支援学級で子どもたちと関わる中で、行動だけを見ていては分からないことが本当に多いと感じてきました。
離席する。
怒る。
教室を出る。
課題をやらない。
集団活動に参加しない。
その姿だけを見れば、大人からすると「困った行動」に見えることがあります。
でも、
「なぜ?」
と一度立ち止まってみる。
すると、その行動の向こう側に、
- 分からない
- 怖い
- うるさい
- 疲れた
- 失敗したくない
- どう伝えればいいか分からない
という、その子なりの困り感が見えてくることがあります。
そして、その困り感を知ると、
「この子をどう変えるか」だけではなく、
「この子が力を発揮するために、私たちが変えられるものはないだろうか」
という問いが生まれます。
私は、そこに特別支援教育と「パーソナルイズポリティカル」が重なる部分があると感じています。
一人の子どもが感じている小さな困りごとを、
「その子の問題だから」
で終わらせない。
子どもの側だけでなく、教材、授業、教室、ルール、周囲の理解などにも目を向けてみる。
その視点を持つことで、今まで「できない」と思われていた子が、違う姿を見せてくれることがあります。
パーソナルイズポリティカルについてよくある質問
パーソナルイズポリティカルとは一言でいうと?
個人的な悩みや生きづらさに見えることも、本人だけの問題ではなく、社会の仕組み、環境、慣習、人と人との力関係などと結びついている場合がある、という考え方です。
日本語ではどういう意味?
「The Personal Is Political」は、一般に「個人的なことは政治的なこと」と訳されます。「政治的」は、選挙や政党だけでなく、人と人との力関係や社会の仕組みまで含む広い意味で捉えることができます。
パーソナルイズポリティカルは誰が言った言葉?
アメリカの女性解放運動家Carol Hanischの文章「The Personal Is Political」と深く結びついて知られています。ただし、Hanisch自身によれば、このタイトルは本人が付けたものではなく、1970年に文章を掲載した論集の編集者によって付けられたとされています。
『御上先生』ではどのような意味で使われている?
ドラマ『御上先生』では、一人の生徒が抱える問題や身近な出来事を、その人だけの問題として終わらせず、背景にある学校や社会の仕組みまで考えていくための重要な言葉として描かれています。
特別支援教育とどんな関係がある?
特別支援教育では、子どもの困難を本人の特性だけで説明するのではなく、教材、教室環境、情報の伝え方、周囲との関係なども含めて考えます。「本人だけの問題とせず環境との関係を見る」という点で、パーソナルイズポリティカルと重ねて考えられる部分があります。
まとめ|「この子の問題」で終わらせない
「パーソナルイズポリティカル」という言葉は、もともと女性解放運動・フェミニズムの中で広く知られるようになった言葉です。
そして『御上先生』では、一人の生きづらさや身近な問題を、その人だけの問題として終わらせず、社会の仕組みへと視点を広げる重要な言葉として描かれました。
特別支援教育の現場でも、私は同じような問いを大切にしたいと思っています。
「この子が変われば解決するのだろうか?」
「それとも、この子が力を発揮できるように、環境にも変えられるところがあるだろうか?」
本人への支援が必要なこともあります。
環境を変える必要があることもあります。
多くの場合、その両方を考えることが必要です。
「できない」「困った行動だ」と判断する前に、もう一度その子の困り感を考えてみる。
その小さな問いから、子どもへの見方や支援が変わることがあります。
私はそれが、特別支援教育の中で「パーソナルイズポリティカル」という言葉を考える意味の一つなのではないかと思っています。
子どもの「困り感」から支援を考えたい先生へ
SpecialEducationJourneyでは、特別支援学級や自立活動で使える無料プリント・SST教材を、子どもの困りごとや学習のねらいに合わせてまとめています。
「何をやらせるか」から教材を選ぶのではなく、「この子は今、何に困っているのだろう?」というところから支援を考えたい方に使っていただけたらと思います。
参考資料
- Carol Hanisch「The Personal Is Political」および2006年の本人によるIntroduction
- TBSテレビ 日曜劇場『御上先生』公式サイト・第7話あらすじ
- 詩森ろば氏インタビュー(日曜劇場『御上先生』と「The Personal Is Political」について)
- 文部科学省「通常の学級に在籍する特別な教育的支援を必要とする児童生徒に関する調査」
- 文部科学省「障害を理由とする差別の解消の推進に関する対応指針」
※本記事では、特別支援教育の実践を考える視点として「The Personal Is Political」を取り上げています。この言葉が生まれた女性解放運動・フェミニズムの歴史的背景そのものと、現在の特別支援教育を同一のものとして扱うものではありません。


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